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つらい、苦しい喘息

「なんとかその中で生きていくすべ」とは?

人に歴史あり。マイファミリーヒストリーはこちらを御覧ください。

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プロフィール 便利屋時代

プロフィール 自衛隊時代。

プロフィール 少年時代 

「なんとかその中で生きていくすべ」とは?

介護人という仕事は、幸いわたしには向いていたようです。
介護人をすることで、
わたしの最良の部分が引き出されたとさえ言えるかもしれません。

でも向いていない人には、これはとても辛い仕事でしょう。


最初は意欲をもって臨んでも、
苦痛と不安ばかりを間近に見る生活が始まります。

そして、遅かれ早かれ、
担当している提供者が使命を終える瞬間が来ます。

ほんの二回目の提供でも最悪の事態など誰も予想していなくても
起こるときはそれが起こります。

そんなとき、看護婦からどんな言葉をかけられても、
ましてや当局から
「最善の努力に感謝します。これからもよい仕事をつづけてください」
などという通り一遍の手紙をもらっても、
なんの慰めにもなりません。

誰でもしぱらくは落ち込みます。
そこから立ち直れるかどうかは人それぞれで、
すぐに乗り越える人もいますし、
ローラのように、ついにそれができなかった人もいます。

そして孤独です。
わたしは多くの人に囲まれて育ち、
にぎやかな環境しか知りませんでした。

それが介護人になると、
突然、すべてが一人になりました。

一人で何時間も田舎道を走り、
センターからセンターへ、
病院から病院へ移動ます。

泊まるのはいつもビジネスホテルに一泊で、
心配事を打ち明ける相手も、
一緒に笑い合う相手もいません。

たまに施設時代からの知り合いに出会うことはありますが、
とても長話はできません。

向こうも、いまは介護人をしているか、
提供者です。

先を急いでいるかもしれませんし、
疲れていて、
ちゃんとした会話などする気にならないかもしれません。

長時間働きづめに働き、
あちこち飛ひ回り、
細切れの睡眠しかとれずにいると、
やがてそれが気配に現れてきます。

姿勢にも、眼差しにも、歩き方や話し方にも、
見てそれとわかる独特の雰囲気が漂ってきます。

わたし自身も決して例外ではないのでしようが、
なんとかその中で生きていくすべを学んできました。

周囲には、投げやりになってしまった介護人が数多くいます。

決められたことを惰性でこなしながら、
早く介護人をやめられる日(提供者になれる日)を待っています。

病院に一歩入ったとたん萎縮してしまう介護人が多いのも、
見ていて気になります。

医師や看護婦にどう話しかけていいかわからず、
提供者の意思を代弁することも
うまくできません。

それでは思いが鬱積し、
何かあったときに自分を責めたくなるのも当然でしょう。
わたしにしても、でしゃばらずにすめば、それに越したことはありません。
引用元
わたしを離さないで

喘息の発作で窒息死する恐怖。
夜寝てるときに咳きが止まらない。
いつも薬を持ち歩かなくていいようにしたい。

(「君の名は。」予告2映像)

私は、現在までほぼ全ての患者さんの喘息の改善に成功しており、
多くの方々の悩みを解決してきました。

(『君の名は。』瀧と三葉のその後のお話。)

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